秋葉原通り魔事件に関して

まず始めに犠牲者に対して心から哀悼の意を表します。

本来ならこんなことは自分の心の中でいろいろ考え思考するのだが、諸事情により思ったことをそのまま書こうと思う。
かなり行き過ぎた表現や考え方があり、かなり長い文になるので最後まで読まなくても構わない。また書いている内容は私、個人の私見なのでいかなる批判、指摘をされても結構である。引用もこのページにリンクするのであるならば構わないので、自由に引用して構わない。

まず、犯罪というものはどんな法律や政治を行ったとしても必ず発生してしまうと思っている。つまり、交通事故や天災のようなものと私は思っている。しょうがないのだ。過去にさかのぼってみると、明治時代や大正時代などには頻繁に殺人事件が起きている。さらに戦時中にも連続殺人事件があったので、犯罪の起こりうる可能性がどこに行っても、どんな時代でも起きると思っている。別に最近凶悪犯罪が増えたというわけではないのだ。

ではなぜここまで「最近犯罪が多い」と感じるようになったのか。私はいくつか原因があると思っている。

  • 報道のあり方

私は基本的にNHKのニュース以外見ようと思わない。それは最近のテレビ番組は全くおもしろくないし基本的に同じような番組しか放送していない。それは放送側の「自主規制」という名の責任逃れがあると思っている。過激な放送を行うと苦情や訴訟に発展するケースがままあるため、放送側にするとそんなリスクを背負うぐらいなら他社の番組を真似たようなものでも構わないという考えがあると思う。そのため放送しても構わないことが起きると、どこの放送局も同じ事しか放送しなくなる。しかもほとんどがVTRで事件に関する考察や背景、事件のその後など本当に重要な意味のある、価値のある放送を全く見ない。せいぜい、コメンテータとか批評家が「これは大変にな事件ですね。みんなで考えないといけませんね。」程度のものなので、中身のない放送になっている。こんなことするならNHKみたいに事実だけ放送して後は特集とか討論しろよと「自称」報道番組を見るたびに思う。
また、TV局の宿命として視聴率を取らなければいけない。過激な映像のほうが視聴率が取れるため、ギルガメッシュないとみたいなものが昔は放送されていたが、「自主規制」によっていまでは放送されなくなってしまった。その代わりとして「凄惨な事件」が選ばれているような印象を受ける。これだけ同じ事件で悲惨な事件ばかりを放送していれば、誰だって最近は事件が多く治安が悪くなったと感じると思う。

  • 社会環境の変化

よく言われる(?)のだが、「昔は大家族が多かったが、今では核家族が多くなった」という話がある。そもそも、日本は村社会が基礎的な社会地盤であったがこれは戦前までのお話である。
戦後、日本は恐ろしい勢いで復興を遂げた。そのために地方の人々を都市圏にある工場にかき集め工業を復興させ、「Japan as No.1」といわれるまでになったが、都市圏に集まった人々はそのまま定住し、故郷に帰るひとが少なかった。このため、元々地方にあった村社会は(現在では)崩壊した。また、都市圏に集まった人々が新たに村社会の代替となるようなものを作り上げたかと言われるとそんなものは微塵も思わない。つまり、日本を支えていた社会地盤は形骸化してしまった。
それに拍車をかけているのが、個人の自由である。個人の自由を逆に考えると「共存性なんてものは邪魔」という話になる。個人の自由を貫く、守るということは、「他の人が何をしようが私には関係なく、私に何かあるなら直接話に来い。個人の自由だから私が何しようと勝手であり、問題ない。」ということに繋がると思う。この考えはには、「共存性が重要」という考えがまったくない。「みんなで組織として社会として、いまの問題点はこれであって、これを解決することによってより良く生きていける」という共通の考えや問題意識(共存性)がなければ、社会問題は解決するわけはなく、いくら法律を整備しようが根本的な解決には結びつかない。

  • 現在の日本の状況

これは私自身にもいえることだが、自分自身の問題を片付けることに必死で他人に構う余裕なんて全く考えられない。家に帰ってきても疲れて、明日の準備でもして寝る。休日はのんびりする、ただし家で。という感じで悪く言うと「自分が助かるために他人がどうなろうと構わない」というカルネアデスの板みたいな感じなのだろうか。
他人がなにか危ない状態だったとしても、自分が必死な時に他人を助けることが誰にもできるだろうかと思うとほとんどのひとはできないと思う。社会的に人を助ける基盤が失われているように思える。

以上が私が「犯罪が多くなった」と思う理由と原因である。

始めに書いたことだが、犯罪は絶対になくなることはありえない。もし、そのような社会が成り立つとしたら、その社会は全員洗脳を受けている、もしくはカルト集団じゃないかと思う。車にいくら安全装置をつけても交通事故がなくならない、減らないことと同じだ。人間は機械のような完全な生き物ではない。常に変化する不完全な生き物である。犯罪をこの地球上からなくしたいなら人類をこの地上から抹殺しろ。それしか方法はない。
しかし、人間はそれを選ばない。どんなことが起きようともそれを選ぶとは思えない。ならば、できるかぎり犯罪が起きる可能性、リスクを減らさなければならない。そのためには地域社会が渾然一体となって取り組まなければならない。がそれをいまの日本社会に望むのは無理なお願いと思う。それを可能にする社会を作り上げるためには、壊してきた時間以上に時間をかけて作り直すしかない。今の時代にあったものを。
それをいまの政治家に期待できるか????
私は絶対そう思えない。ちっとも考えられない。見せ掛けだけの救済案や口先だけいいことばかり言っている政治家、官僚なんて全員ふっ飛ばしてしまえと思う。
だから身近にある幸せを大事にするしかないのだ。地味と言われようがしょうがないのだ。だから私は人前でもブログでもこんなことは言わなかった。
が友達の友人が刺されて死んだらしい。昨日起きた秋葉原の通り魔に刺されて。
身近に死は確実に存在する。この恐怖を自覚したとき、理解できる状況になったとき、冷静でいられることができない。明日死ぬことが分かってるならばすこしは冷静になれるかもしれない。しかし、死ぬという確実な終わりが不確実な気配を漂わせているという不安にさいなまれているこの状態を、この社会の中にいて、この世界が変わらないことが見えているいま
まともな精神でまともな考え方で生きていくことができますか?
私にはできない。それでも明日は来るし、確実に私は死ぬ。遠くない未来に
だから今日は心のなかを書いた。こうでもしないとまた病んでしまう。

最後までよんだ人、読んでくれてありがとう。
それでは